若さを磨く

若さを磨く

高校生だった頃の話です。

私は吹奏楽部に所属していました。
ちょうど部の運営にいろいろな変化の波がやってきていた頃でした。

その頃は、もう武士道と出逢っていましたから
音楽を奏でる上で
自分自身の心が整っていることや身嗜みが音に現れると思っていました。

高校生ですから、
制服を着崩すなんてことは当たり前のようになっているわけです。

それがもう気になって仕方がなかった。

私から伝えたところで、
小うるさい先輩くらいのものですから
ある日、顧問の先生に直訴に行ったことがあります。

顧問の立場から、
大切なことだと伝えていただけないか。
このままでは、数年掛けて乱れは大きくなること。
どうなるかはさて置き、より良い状態を目指すことが大切だ。
という主旨だったかと思います。

顧問の先生も退官される年でしたから、現状を維持することと併せて、
「君はまだ若いから」

と…仰られました。

その時に、
私は激怒したんですね。
「生きた時間の長さが老いや若さではない。何かに夢中になったり、何事かを成そうとすることは幾つになってもできます。それを諦めることが、老いです。

その意味で、いつだって人は若くいられます」と。

今、この瞬間
私が動くことで何かが変わるとは思っていませんでした。

でも、だからこそ
変えようとする、より良くしようとする動きを起こすことで流れを作ることができると信じていました。

そして、それが何よりも大切だと。

大徳寺の尾関和尚の講話に

「五十、六十花なら蕾七十、八十働きざかり、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」

という詩があるそうです。

経営の神様と呼ばれる松下幸之助さんも「若さとは年齢ではない」と言葉を残されています。

人は、特に女性は
「いつまでも若く在りたい」と願いますが
いつまでも「若い」状態ではいられません。

しかし、「若さ」を持ち続けることはできます。

「若さ」を持つ人を子どもっぽい落ち着きがないことだと考えている人も在るようですが、

それは「若さ」ではなく、「幼さ」でしょう。

長年生きて、幼さを乗り越えててなお
「若さ」を持ち続けることがいつの時代も大切なのだと思います。

この「若さ」を諦めるとき
人は心身共に「老い」を迎えるのかも知れません。

血気盛んな志士達は
いくつになっても、心に灯った炎を小さくすることはありません。

その炎は、必ず誰かに受け継がれ
次の世代へと継承されるものです。

誰もが持つ
SAMURAIの魂を絶やさず燃やし尽くすことが、継承者を生み出し、永遠の刻を生きることを

私たちのご先祖様は知っていたのかも知れません。

現代SAMURAI塾では、SAMURAIとして在りたい方を募集しています。

サムライは好きだけど、どうやったらなれるのか。

現代を生きるSAMURAIの在り方を共に学び、世界により良い影響を与えていく人になりたい方は是非お越し下さい。

ありがとうございました。

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